2020年9月16日の朝。
私たちネグローニのスタッフは、中継のモニター画面を食い入る様に見ていました。発表された映像から、まず目に飛び込んできたのは、目を見張るほどに鮮烈なイエロー。曲線と直線のバランスが特徴的なヘッドライトデザインと、大きく開いた四角いフロントグリル。そして、インテリアの内部には明らかにマニュアルミッションらしきシフトノブが見えます。
日産フェアレディZ プロトタイプの全世界同時発表。
全体的なプロポーションは一見すると未来的にも見えますが、ディティールの随所にヘリテージな意匠を感じさせる独特なスタイルに思えました。そして、この車は “現代の” どの車にも似ていない、不思議な雰囲気を感じます。
冷めやらぬオーディエンスの興奮を背景に、内田CEOや車両デザイナーによるプレゼンテーションが進む中、私たちは頭の中をフル回転させながら、果たしてネグローニのマテリアルアーカイヴスの中に、“この鮮烈なイエロー”があったかを必死に思い出していました。
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発表日の前日。ネグローニ ディレクターの宮部の元に、NISSAN Z 統括責任者である田村宏志氏から1本の電話がありました。田村氏はプレゼンテーションのリハーサルへと向かう車内。
田村氏は、およそ10年近くに渡ってプライベートでネグローニ製品を愛用しています。私たちは彼の足型に合わせた「イデアコルサ」を日常のスタイルに合わせて作製してきました。メタルボディを彷彿とさせるシルバーだったり、ジャケットスタイルに合わせた特別色のヘザーグレー。そしてTシャツなど爽やかなサマースタイルに合わせたホワイトも含めて。普段はあまりダークではない無彩色のグラデーションを好んでいる田村氏でしたが、その日の要望はいつもとは少し違いました。
「今回お願いしたいのは、言葉では表現するのが難しい色なんですよ。
だからとにかく、まずは明日の映像で見てください」
彼がいつもの様な普段使いのカラーリングを必要としている話ではないということをすぐに悟りました。同時に、何か大きな事が起きる前兆、力強いエネルギーを言葉の節々に感じました。
田村氏が必要としていたのは光の当たり具合によって表情を変える、絶妙なイエローを使った、特別なイデアコルサ。しかしながら、山吹色でもなく、レモンイエローとも少し違っている。そのイエローは、私たちが普段目にしているカラーチャートの範疇にないことは明らかでした。
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役員のアルフォンソ氏と田村氏によるプレゼンテーションが始まりました。その足元には見慣れたヘザーグレーのイデアコルサがあります。そして話が車両のディテールから開発秘話へと進むうちに、私たちデザインチームの中には徐々に緊張感が漂い始めました。彼らの背後に置かれた新しいZのイエローは、確かに“言葉で表現するのが難しい色” そのものでした。
「こんなイエローを見たことがあるか?」
「どこかで見たことがある様な気がするが、間違いなく使ったことはない」
「これは薄いベタ塗りのイエローなのか?」
「いや、最初の映像では少しライムグリーンの様にも見えた」
「照明によって色彩が変化しているの?」
「そもそも、レザーでこんな色表現が可能なのか」
プレゼンテーションそっちのけで色に対する議論が白熱する中、
「これなんかはどうだ?」と、一人のベテラン設計スタッフが、30ds (1dsは10cm四方) 程度の小さな革のロールを引き出しの奥から出してきました。見覚えはあるが見慣れない色。ラバータッチの様なマットな質感。そのイエローは、確かに映像の中のZのボディカラーを軽く彷彿とさせます。
それにしてもどうしてこんなレザーが都合良くファクトリーの引き出しの中にあるのか。あやふやな記憶を掘り返してみると、2018年頃に東京で行われたレザーフェアでの出来事を思い出しました。
そのレザーを “くれた” のは、ビエッラのタナリー C・テクノロジーに長年勤めていたコーディネーターのエレナ。彼女とは、パリの国際素材見本市 プルミエール・ヴィジョンで初めて出会い、以降ミラノのリネア・ペッレや東京のレザーフェアなど、会うたびに私たちのクリエイティブに素晴らしいアイデアを提供してくれる素敵な女性でした。最後に東京で会った時はディナーを共にしましたが、2020年のパンデミックによって、世界の情勢が大きく変わってしまい、イタリアで行われた大規模なロックダウンの後、残念ながら彼女は職を離れてしまったと聞いていました。そのエレナと最後に話した東京での別れ際。
「そう、よかったら、これも持っていく?」
と言って、彼女はめずらしく、少し大きめなサイズのレザーサンプルをカッターでざっくりと切り取って渡してきました。(通常は切れ端度のカット見本)
その日のミーティングでは全く話題に上がらなかったビビッドなマットイエローのレザー。彼女の唐突な申し出を少し不思議に感じましたが、その時は何も考えずにありがたく受け取っていました。
にわかに信じられないかもしれませんが、その時に受け取ったイエローのレザーが2年間全く手付かずの状態で引き出しの中に眠っていたのです。
革に型紙を合わせた状態。パズルの様に収まっている状態を記録していた。
私たちは、そのほんの少しだけ大きめなイエローのレザーサンプルを恐る恐るイデアコルサの型紙に合わせました。そのサイズは息を飲むほどにぎりぎり1足分しかない。もちろん失敗は全く許されません。こんな綱渡りな状態で、見慣れない素材を大事なZのプロモーションに使う靴として提出して良いのか。そもそもまだ映像で一瞬しか色あいを見ていないのに、実物のZとどこまで色が合うかは全く予想もつかない。とにかく私たちは即席のカラースワッチを作り、田村氏に送ることにしました。
宮部 「田村さん、モニターのカラーで何度も合わせましたが、正直1つしか新しい Zプロトのイエローに合いそうな色はありません。そして、この革では今のところ1足を作るのが限界です。正直、再現性は低いかもしれませんが、この色でもよければ製造に入ります。サンプルを送ったので、色を確認してください」
田村氏と言葉を交わすたびに、つぶさに感じるのはデザインや物づくりに対する切れ味の鋭さや、素材に対する圧倒的なイマジネーションの深さ。その一言一言からは、モータースポーツの象徴である数々の車両開発を掌る、人の胆力。そして想像を絶する重圧と常に隣合わせにある田村氏だからこそ発する、“達人の気”の様な迫力を感じ取れます。ネグローニは常に独特の緊張感を持って、彼のドライビングシューズ作りと相対してきました。ですので、もしこのレザースワッチがイメージする色や質感でなければ、この提案が全く通用しないことも、もちろん分かっていました。
9月17日に田村氏に送ったレザースワッチ。
スワッチと共に同封したイメージイラスト。シルバーやホワイトのイラストも提案していた。
Photography: 日産自動車株式会社 | NEGRONI
Text: Shuhei Miyabe / NEGRONI