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さて、話をモータースポーツ ( の靴 ) に戻そう。右ページ下部にあるチャッカブーツ型のレーシングシューズがイギリスの自動車雑誌広告に出たのは1965年の3月のことである。特徴的な2対のアイレットと薄い革製のソール。そして「ウェスト・オーバーヒール」というすり鉢状にカットされた形状の靴は、まさしくジム・クラークが着用していた写真の靴に違いない。
広告には WESTOVER DRIVING SHOES というブランド名が記載され、G.P. BOOTSという名称が書かれている。テキストには、ウェストオーバーは最高品質のレーシングブーツで、2人の世界チャンピオンを含むほとんどの一流ドライバーが着用している…とあるため、この広告の時点でG.P.BOOTSは既にグランプリで採用されていたことを示唆している。製造は英国靴の聖地と呼ばれるノーザンプトンの住所が書いてあるが、果たしてこのウェストオーバー・ドライビングシューズ社とはどんな会社なのだろうか。
©︎Motor Sport Magazine | September 1963
ウェストオーバー・ドライビングシューズ
イギリスの歴史ある月間 Motor Sports誌のバックナンバーをくまなく探していた際に、1963年の9月号にウェストオーバー社から初めての広告が出稿された記録を見つけることができた。その靴はレーシングシューズといった佇まいではなく、細身なスリップ・オンのドライビングシューズで、ヒールをベンズ革で巻き上げているのが特徴的である。ここから、ウェストオーバー社は少なくとも1963年にはドライビングシューズのブランドとして活動を既に開始していたということが分かる。そして、この広告がブランドやデザインに関わらず「ドライビングシューズ」として初めてMotor Sports誌に掲載されたものであった。のちに自動車アクセサリーショップとして名高いLes LestonやOgden Smithなど幾つかのブランドがドライビングシューズを発売している記録があるが、ウェストオーバー社こそがドライビングシューズブランドのまさに“先駆け”であったことに違いない。
そこからまた時代に沿ってMotor Sports誌を読み進めていくと、WESTOVERは1965年のクリスマス号の広告で「TOURER ツアラー」というスエード製のドライビングシューズを発表している。ソフトタイプのブラックカーフを使用しているG.P. BOOTSに対し、TOURERは口周りが細く、ややカジュアルなデザインで、アッパーにはブラウンのスエードを使用し、踵はサドルレザーでコンビネーションされている。そして、ピボットしやすい様にヒールの形状はラップラウンド型に仕上げられていたとある。この商品は、1967年にかけて毎月のように誌面上で商品を広告していて、メイド・トゥ・オーダー専用のサービスや、レディースのサイズ展開があったことも記載されている。
サーキットで見る G.P. BOOTS
1960年代のF1 Grand Prixの足元を辿ると、本当に多くのWESTOVER社製のレーシングシューズを目にすることができる。中でも、1960年のチャンピオンであったジム・クラークと、1961年のチャンピオンであったグラハム・ヒルは、サーキットではいつもWESTOVER社製の靴を履いていたことが伺える。
24 September 1963 ©︎PA IMAGES | Alamy
これは1963年の9月24日に撮影されたロータスF1のタイヤに座るジム・クラーク。写真に記載されたキャプションは少なかったが、TEAM LOTUSのロゴと時期を推測するに、Coventry Climaxエンジンを積んだLotus 25だろう。ジム・クラークのチーム・ロータスは、この年圧倒的な成績で初優勝を飾った。靴のディテールがカラーで鮮明にわかる非常に珍しい写真である。1963年には既にG.P.BOOTSは存在していたということになる。
Goodwood Sunday Mirror Trophy Race. 15th April 1966. ©︎Trinity Mirror | Alamy
タイヤの上に足を乗せ、凛々しい表情を見せるグラハム・ヒル。1966年4月のグッドウッドサーキットの光景。G.P. BOOTSの爪先には、レース中にペダルで引っ掻いたであろう荒々しい傷跡も見える。今では決して見ることのできない非常にシンプルで美しいスタイルだ。
French Grand Prix, Rouen, 1968 24 September ©︎Heritage Image Partnership Ltd | Alamy
メカニックの様子を神妙な面持ちで見つめるグラハム・ヒル。1968年の9月、場所はフランスグランプリが行われていたルーアン・レゼサールサーキットである。この年のロータスは、企業の「フルスポンサーシップ」をF1に初めて持ち込んだことで知られる。グラハムは、 Imperial Tobbaco社 のゴールドリーフカラーに身を包んだLotus 49Bで参戦したが、残念ながらこのレースはリタイアとなった。