ザ・レーシングシュー・スペシャリスト ③

ザ・レーシングシュー・スペシャリスト ③

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1960年代後半、トップレーサーの足元を席巻していたWESTOVER社はレーシングシューズ・スペシャリスト Edward Lewis エドワード・ルイスというオーナーによって経営されていたという。1965年の広告で自らを「レーシングシューズの専門家」と銘打っていたといたというからには、商品にもブランド力にもよほどの自信があったに違いない。一体、エドワード・ルイスとはどのような人物だったのか。

 

エドワード・ルイスとは何者か

靴デザイナーとしてのエドワード・ルイスについての記述は広告やわずかな写真以外では、残念ながらほとんど残っていなかったが、一方で「自動車レーサー エドワード・ルイス」としての記録は僅かであるが、なかなか興味深いものが残っている。エドワード・ルイスは、1922年にノーザンプトンで靴工場の子息として生まれる。彼は自身のウェストオーバー・ドライビングシューズを経営する傍ら、様々なカテゴリーの自動車レースに参加していた記録がある。

Riley 1.5でレースをするエドワード・ルイス (写真左・870 FPA)
Snetterton 
14 April  1962 ©︎George Phillips Photograph Collection  | Revs Institute


イギリスの歴史ある自動車クラブ British Racing Driver’s Clubの記録によると、エドワードは1950年代にRiley (ライレー)でレースを始めたという。ライレーとは1900年代初頭にエンジン開発の分野で成長したイギリスの自動車メーカーで、比較的安価なスポーツサルーンの製造を得意としていた。特に1960年から1964年にかけては、リスター・ジャガーのエンジンを手掛けていた名手 Don Moore ドン・ムーアと共に、Riley1.5Austin A40Austin Mini Sevenなどで British Saloon Car Championship (BTCC) に参戦していた。
 
当時は排気量別にクラス分けされた車両が混走し、クラスごとに与えられたポイントで全クラスが単一のチャンピオンシップを争う形式だったため、かなり混沌としたレギュレーションだったそうだが、グラハム・ヒルを始め、当時のF1レーサーであるダン・ガーニー、ロイ・サルバドーリ、後にマクラーレンの創始者となるブルース・マクラーレンなどもジャガーMk2で同じレースを別のクラスで参戦していたということで、非常に賑やかなレースだったと想像できる。

また、同じくレース用のエクイップメントやシューズ、アクセサリーをロンドンで販売するビジネスをしていたレーサー、Les Leston レス・レストンもこのレースにVolvo 122Sで参戦していたことも非常に興味深い。



また、エドワードは多くのレースにおける功績からBRDC (British Racing Driver’s Club)の終身会員となり、驚くことにこのジャーナル記事①の表紙写真である、ロータス・エンジニアリングの創始者として名高いコリン・チャップマンとも非常に深い関わりがあったと伝わっている。そして、エドワード・ルイスは今も不朽の名作として輝くロータス・セブンの誕生の物語にも関わっているのである。その物語はこの後に続くネグローニジャーナル「コーリン・チャップマンとエドワード・ルイス・スペシャル」でご覧いただきたい。
 




©︎Motor Sports Magazine | December 1970

 

レーシングシューズの面影を追って
 
毎号のようにMotorsports誌を賑わせていたWESTOVER DRIVING SHOESの誌面広告は、1969年のクリスマス号の掲載を最後にパタリと見かけなくなってしまった。それどころか、60年代に多く見られたヘルメットやグローブなどのエクイップメント関係の広告までもが1970年代が進むにつれて自動車やパーツ広告に取って代わった印象がある。これは民衆の自動車文化が成熟したことによる、時代の流れだったのだろうか。それとも、単純にエドワード·ルイスの経営方針だったのか。 

1968年にチーム·ロータスが「広告」という概念を採用してから、レーサーの服装とボディカラーは次々とスポンサーカラーに染まっていったため、G.P.BOOTSのようなレーシング黎明期のラギット(無骨なシューズやウェアの需要に影響を与えてしまった可能性は捨てきれない。それとも、ジャッキー・スチュワートが生涯にわたって推し進めた「レースにおける安全性の向上」によって、服装に対する概念も徐々に変わっていったのかもしれない。



Graham Hill With Neil Ewart with a Foreword by H.R.H.The Prince of Wales 1977
Published by BOOK CLUB ASSOCIATES   

 

メディア広告欄からは姿を消したとともに情報が途絶えてしまったWESTOVERG.P.BOOTSだったが、1970年代には、ハイトップ型のスニーカーを発売し、多くのレーサーの足元を飾っていた。Neil Ewart GRAHAM」の中には、グラハム・ヒルと共にレーシングスーツを纏った若かりし頃のチャールズ国王が、お揃いでWESTOVERのレーシングシューズを着用している写真が残っている。また、当時のチャールズ国王はこの本の序文を寄稿している。自動車文化に対するイギリス王室の懐の深さを象徴とするこの写真は、自動車を愛する他国の人間にとって何とも羨ましい光景である。

 ©︎Wikimedia commons | Northampton Museum and Art Gallery


そして、エドワード・ルイスの生まれ故郷であるノーザンプトンの靴を記録した博物館、Northampton Museum and Art Galleryには、1979年から1980年にかけてエマーソン・フィッティパルディがレースで着用したとされるレーシングシューズが所蔵されている。ブルーの生地とネイビーのスムースレザーのガードでまとめられたハイトップは、いかにもレーシングシューズの原点といった印象の素晴らしいデザインである。くるぶしの位置には、掠れたEdward LEWIS WESTOVERの刻印が入っていて、時代の趣を感じさせる。

残念ながらエドワード・ルイス氏は2015年に亡くなったとされ、ご本人から直接のお話を聞くことは叶わなかったが、彼がレーシング文化に寄与した功績は計り知れなく、尊敬してやまない。私は今後も彼の足跡を長い年月をかけて辿っていこうと思う。



Text: Shuhei Miyabe | NEGRONI
Cover Photo: 1957 Lotus Seven, Edward Lewis Brighton Speed Trials
©︎Heritage Image Partnership Ltd | Alamy